プロデューサーはどんな人?
こんにちは
このプロジェクトのプロデューサーの
どーなつくらぶです!
まず、オーディションページをこんなブログみたいに使うプロデューサーってきもくね?ってちょっと思いますよね。わかります。
でも、得体の知れない大人のもとでアイドルをやることに対して前向きな気持ちになる方のほうが少ないと思うので
ちゃんと自分の言葉で、プロデューサーである「どーなつくらぶ」がどんな人なのかを書いてみようと思いました。
凄い経歴はないですが
どんな経験をしていて、どんな考えで、どんな気持ちでグループを作ろうとしているのか。
とってもおこがましいですが、ちゃんと知ってもらったうえで「この人の作るグループなら入ってみたいな」
と思ってくれる人と出会えたら嬉しいです!
基本プロフィール


名前 どーなつくらぶ
年齢 1999年生まれの26歳
出身 愛知県
長所 人との関わりを大切にしすぎる
短所 なんでも自分でやりたがる
経歴
1999年 愛知県で生まれる。
幼少期は周りより絵が上手だったり歩くのも足も速かったので「天才が生まれた」と言われていた。
が、普通に4月生まれだからだった。
工作大好き、ロリータやSWIMMERなどのかわいいものとドッチボール大好きな、わんぱく小学生を経て、
中学ではテニス部に入部。番手は一番下。
テストの順位も下から40位でした。
余裕のある家庭ではなかったので、勉強熱心な姉が泣いて「塾に通いたい」と親にお願いして、ようやく通えることになった塾。
なぜかそこに、頭の悪かった私は強制的に通わされることになります。
そんな中学生の頃から、洋服を作ることやファッションに夢中になり、伊藤万理華ちゃんの影響で一人で古着屋巡りをするようになりました。
同じ頃、地下アイドル文化にも出会います。
少ないお小遣いでCDを買い乃木坂46の握手会に全国握手券1枚だけ握りしめて参加したり、PASSPO☆、でんぱ組.inc、メチャハイなど、その時代のアイドルに夢中になりました。
高校はなんとか推薦で被服科の高校に合格しました。
ミシンが得意だったこともあり、「将来は洋服を作る仕事がしたい」と思って入学しました。
でも洋服のコンテストでクラスで私だけ通過しない。
とってもかわいい服を作るのに
先生からの評価も高くない。
ここで初めて、人生の誤算。
ずっと好きだったファッションを学ぶには、
誰かに点数をつけられ、評価される世界に身を置くことになる。
私は、自分の好きで作ったものが否定されることに、
「あれ、もしかして向いてない?」と気が付きました
現実厳しい!
高校3年の夏には
「服を作る仕事はやめよう」と思い、専門学校ではなく大学進学を決める。
高校に入ると地下アイドル熱は爆発し、関ケ原や@JAMなどのフェスはもちろん、BiSHや虹コン、神宿などのライブにも行く。
一度だけWACKのオーディションに応募し、書類が通ったことがある。
しかし面接で爆緊張して撃沈。
この頃には、すでに地下アイドルの文化にどっぷりはまっていました。
普通の地下アイドルの対バンにも出演するような、沸き曲だけをコピーする女ヲタクユニットにも応募してみました。
でも「愛知県の子だから現実的に難しい」と言われてしまいます。
「私やれます!」って言えばよかったのに~!
多分その時の私は「お~~ん…」って言って東京から帰ってきました。
大学は情報学部へ。
ファッションから一転
「グラフィックデザインを学ぶぞー!」と意気込んで入学。
女の子が少なくてちょっと孤立したけど、楽しい大学生活を送ってやる!と思い、アルバイトを4個掛け持ちしながらUNIDOL(アイドルコピーダンスの全国大会)に出るため「laundry」というグループを立ち上げる。
初めての東海予選。審査員投票は4位。
でも観客投票は、チケットを売りさばけなかった私たちは下位。
自分たちが100%楽しむために出た大会だったので
ちょっとだけ評価されてうれしかった★
同時に、手羽先センセーションのチェキスタッフも友達からの誘いで経験。
チェキ撮影は全然回せなかったけど、家に帰ってヲタクのチェキツイをあさる。ピンチェキの撮影はめちゃくちゃ上手だった。
laundryは、メンバーの1人が本物のアイドルになること、専門学生の子が学校卒業と同時に脱退することが重なり、1年ほどで解散。
そのメンバーがきっかけで、「私もアイドルしたい!」という私の中でしまっていた思いが出てきたので、曲の良さだけで選んだDprojectという小さなアイドルグループに加入。
ライブは本当に本当にほんと~~~に楽しかった。
合格当初、誰が休んでも代打できるように全員の立ち位置を自主的に覚えたり、夜中にバイトから帰っても毎日家でダンスの練習をしていた。
こんなに自分が本気になれることは初めてで、もっと上を目指したいと思った。
「もっと大きなステージに行きたい」と脱退を申し出た直後、コロナ禍でグループ解散。
そのあと見つけた新規のグループに入るも、毎日泣くほどうまくいかず。
こういう時って、何をしてもうまくいかないんですよね。
人生で一番泣いちゃった数ヶ月!
でも、最高なヲタクがいたことだけが救いでした。
耐えた~!
自分のコロナ感染(当時学校で3人目の感染者で大変だった)、両親の入院。
大学3年の秋で就活の時期だったこともあり、
「ちゃんとヲタクの気持ちを理解してから戻ってくるのもありかな」と思い、ここで一度アイドルから離れる。
しかし!
周りより早く始めた就活も全く上手くいかない。
うまくいかな過ぎて逆におもろいので、YouTubeでそれを話したらちょっとバズった。ラッキー★
でもそんな落ちまくった就活を通して、自分が引くほど行動できることに気がついて、そこから「自分最高!」と常に思うようになった。
だから一切病まなくなった。
就活すごい!
そこから、
・クリエイターズマーケットに出てみたり
・大好きなお洋服屋さんのPOPUPで働いてみたり
・地下アイドルの衣装を作ったり
・留学に行くために貯金を頑張ったり(まだギリコロナ禍で無理でした)
自分の「やりたい」にもっと行動できるようになった。
ここで大好きな国、タイに日本式の地下アイドルがいることを知った。
調べていくうちに「いつかタイの地下アイドルに関わる仕事ができたらうれしいな」と夢ができる。
大学卒業後、コンクリート会社の広報として就職。
ちゃんと社会人する。
でもやりたいことではなく、同じ毎日の繰り返しに少しもやもやしていた。
そんな中、大好きすぎて休日にアルバイトしていたアパレルブランドのPOPUP店舗で「店長をしないか」と声をかけてもらい、会社を辞めてアパレルで働くことに。
当時は平日は会社、休日はアパレルのバイトで、気づけばほぼ週7で働いていました。本当に意味わからない!自分!
そのあと「タイに行く前にとりあえず英語が話したい!」と思い、3か月間のフィリピン留学。
帰国後はまた同じブランドの社長から声をかけてもらい、タイへの夢もあったので、期限付きで大阪新店舗の立ち上げ&店長を経験しました。
この仕事が楽しすぎてタイに行くことを一旦延長。
2025年1月、約一年間の語学留学として単身タイへ。
エージェントなしで語学学校と家を契約するし、早くタイ語を覚えてタイで働きたかったので語学学校でインターンも始めた。
本当に自分すごい。
タイでは、大学4年からの夢をかなえるべく、朝から夜まで語学を学びながらタイの地下アイドルオーディションにも応募してみた。
しかし!!
オーディションは面接にも進めず。
タイ語も全く覚えられない!!
やっとタイまで来れたのに、現実の厳しさを痛感しました。
それでもタイの地下アイドルは大好きだったので、バンコク内のライブハウスには通う。
社会人になってから、仕事や旅行や留学、とにかくやってみたいことが多すぎてアイドルから離れていたけれど、やっぱり自分はアイドル文化が大好きだと再確認できた年でした。
タイではまず語学を習得してからキャリアをつけて、現地のアイドル業界で働けたらいいなと思っていました。
でも、タイ人に囲まれながら語学学校でインターンまでしていたにも関わらず、タイ語が全然習得出来ないことがきっかけで、帰国をわりかし早めに考えてました。笑
ふと
「私が日本でアイドルを作るのはどうだろう」と考えるようになった。
ひとつの夢として考えてるうちにどんどん現実的なものになって、このプロジェクトを始動することに決めました。
夢も、挫折も、嫌な大人も、希望も、現実も、社会も、少しだけれど外の国も見てきた私だから。
私にしか作れないグループができると思っています。
関わる全ての人に大きな大きな愛をもって
2026年このプロジェクトを始動します。